蓮華のおはなし
台座に花びらのような形のものがついている仏像があります。あまり意識してこなかった人も、仏様の台座がどんな形になっているのか意識してみると、きっと見つかると思います。花びらの形をした蓮華座以外にも、獅子の上に乗った獅子座、岩の形をした岩座、象の上に乗った象座、などがあります。ちなみに有名な閻魔大王は水牛の上に乗っています。数で言えば、やはり蓮華に乗っている仏様が一番多いと思います。
蓮華(レンゲ)というのは蓮(ハス)の花のことです。(*1)蓮は主に沼や池などで見ることができ、7月から8月頃にきれいな花を咲かせます。関東では上野の不忍池が蓮の名所として知られています。もともとは、古代インドの梵天(ブラフマン)という神が、蓮から生まれたことから蓮はお釈迦様の生まれた古代インドでも特別な意味を持つものでした。
そういった歴史の中で蓮華は仏教の中に取り入れられてきました。先ほどもお話ししましたが、蓮は流れの少ない沼や池に自生します。ですから、蓮が育つような環境は、泥水で淀んでいることが多いのです。
そういった蓮の様子から、淀んだ泥水を私たちの世界にたとえ、そこで咲く花を仏教の教えにたとえて考えています。私たちの世界には欲望・憎み・迷いなどの私たちを苦しめる原因があります。その中でも、仏教の教えは私たちの目の前に美しく表れるということを蓮華の花にたとえて表現しているのです。
ただ、悪いもののたとえである泥水が無かったらどうでしょう。蓮華のたとえの素敵なところは、ここにあると思います。蓮は淀んだ泥水の中からぐんぐん栄養を取りきれいな花を咲かせます。同じように、私たちの周りには苦しみの原因はありますが、それを栄養にすることで、蓮華のようなきれいな心になれるということです。むしろ、栄養となる苦しみの原因が無ければ、そこに到達することが出来ないのです。
私たち人間は、心を持っているかぎり、苦しみや辛いことを避けることはできません。それが、いずれは私たちの栄養になると分かってはいても、その最中にはやっぱり負けそうになります。それは、今も昔も同じはずです。そんな昔の人たちも、ふと目に入った蓮華に思いを重ね合わせたのかもしれません。蓮華の台座、蓮華座にはそんな思いが込められています。仏様を拝むとき台座にも注目してみるとより仏様が輝いて見えるはずです。
(*1)蓮華は日本語では蓮・睡蓮の総称として用いられ、時にレンゲソウも指す場合がありますが、ここでは「蓮華=ハスの花」としてお話しています。