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写経会【毎月第4週土曜日開催】

お坊さんの修行って辛いの?

 

 私はお坊さんの中では、まだ若い方なので時々「本山で修行してきたんですか?」と聞かれることがあります。天台宗のお坊さんになるには本山である比叡山で修行する必要があるので、もちろん私も本山で修行をしてきました。

 

 実際にはお坊さんは、お坊さんである限り常に修行の身ではあるので、いわゆる本山での修行は正確にいうと修行ではありません。多くのお坊さんがいわゆる修行として行うものは、四度加行と呼ばれ、天台宗の2つの大きな柱である、顕教と密教の基本的な修行方法や心構えを身につけるために2ヶ月ほど集団で生活をします。ただ、ここでは一般の方がイメージする本山での修行を「修行」という言い方で表現したいと思います。

 

 では修行は辛いのか?という話に戻ります。比叡山での修行行院とよばれる場所で行い、最終段階では朝2時に起きて水をかぶり、1日に3時間程の法要を3回行いながら合間に座禅や掃除をします。日程的にはかなりハードで心も体も追い込まれていきます。これだけを聞くと確かに大変!と思われる方も多い思いますが、どんな職業でも修行期間はあります。美容師さんでもアシスタントで下積み期間がありますし、パートでも試用期間がありその間に色々と新しいことを覚えなくてはなりません。スポーツでも一流になるには厳しい練習が必要です。ですから、お坊さんだけがすごく厳しい何かをしているかと言われると、そうではないと私は思っています。

 

 修行中は、外部からのテレビ・新聞・携帯なども使えず、外部との情報のやり取りは全くできません。だからこそ、自分と向き合うことができます。修行の最中には目の前のことをこなすのに精一杯でそれ以上のことは考えられませんでした。ただ、15年以上経った今になって思うと、何もかもを切り捨ててそれだけに集中して修行することができたのは、周りの人達がそういう環境を作ってくれているからであり、天台宗という宗派が多くの方に支えられているからこそ、できたことなのだと感じています。たまにふと、あのときに戻ってみたいとさえ思うことがあります。

 ですから、辛いというよりも本当に有り難い期間だったなあ、というのが今の思いです。私の経験した修行は天台宗のお坊さんとしては最低限のもので、比叡山にはもっともっと厳しい修行があります。そういう修行を経験していないのにこんなことを言うのは説得力に欠けますが、おそらくもっと厳しい修行をしているお坊さんたちもそんな気持ちでいるのではないかと想像します。

 

 

 修行は楽かどうかで言えば楽ではないですが、決して辛いことをやらされている訳ではないのですね。冒頭でお坊さんである限り一生修行、と自分で書いていて反省しかないなと思っていますが、信じて集まってくださる方と共に、仏教に触れ心をやすらかになれたらなと思っています。

しょうぐさん
しょうぐうさん

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