「良い人」ってどんなひと?
「あの人ってすごく良いひとだよね!」などと、誰かが言っているのを聞いたり、自分で言ったことはありませんか?当然、私達の生活していく中で、この人は良い人だなあ、と思い感心したり、見習いたいと思ったりすることは自然なことです。
人を助けたら良い人でしょうか?みんなのためになることをしたら良い人でしょうか?実は、良い人であるということに、はっきりとした根拠はありません。例えば、アンパンマンに出てくるバイキンマンを思い出してください。バイキンマンはいつも皆の嫌がることや、いたずらばかりしています。このバイキンマンが、1度だけ人助けをしたら、普段は良くないことばかりしていても良い人と呼べるのでしょうか?やはり、悪いことをしている回数のほうが多いので悪い人なのでしょうか?
この難しい問題は私たち人間にもあてはまります。嘘をつくのは良くないことだけど、その場を取りつくろうために言ってしまうことがあります。自然環境を壊すことは良くないけれど、環境破壊に一切関わらないで生活していける日本人はほとんどいません。生き物を殺すのは良くないことだけど、毎日植物や動物の命を奪い人間は生きています。
大人になると皆が薄々気づきながら、目を背けてしまうことですが、人間の心には誰でも必ず、意地汚い心や、ずるい心、などの負の面があります。それが行動として現れてしまうことも少なくありません。これは仏教による心の分析でも言われていて、人間はほとけさまのように清らかな心も持っていますが、地獄のようなドロドロした心も同時に持っているとされています。今は良い、悪いの2つで話を進めていますが、仏教では心のなかに3000もの世界が広がっていると考えられています。
こんなことを言っていると、みんなが良い人だと思っている人を、本当は良い人でないように言っているように聞こえてしまうかもしれませんが、そうではありません。きっと良い人は、きれいな心の状態の時間が多い人なのでしょう。逆に言えば、みんなに悪い人だと思われている人も、たまたまドロドロとした気持ちがその人を支配してしまっただけなのかもしれません。戦争は良くないことですが、それをしている人たちも戦争のない国に生まれていたら、恐らく戦争に参加することはなかったでしょう。生まれてきた瞬間から、悪の心だけをもった人間はいないのです。
私たちは、ついつい過去の出来事に結びつけてこの人は良い人とか、良くないとか言ってしまいがちです。でも、これまでお話したとおり、仏教的に言えば、みんな良い人でありながら、みんな悪い人でもあります。だから、バイキンマンが行ったたった1つの人助けでも、きちんと「ありがとう!」と感謝すべきことなのです。
ドロドロした良くない心の面は、あまり人には見せたくないし、行動に出てしまったあとに後悔することもあります。そういった心は消し去ってしまいたいと思うのが普通ですが、それは人間である以上、不可能というのが仏教の考え方です。そういう負の部分を抱えているからこそ、ふと出てきたきれいな心に感謝できるし、嬉しく思えるのです。そうすれば、良くない部分を抱えながらも、私たちの心は少し良い方向に成長できるのです。
ですから冒頭の「良い人とはどんなひと」という問の答えは、ある意味みんな良い人ということになるかもしれません。それと同時にみんな悪い人でもあるということも忘れてはいけません。それを理解し、自分の心のこういう部分が大きくなっていってほしいと思うことで、はじめて私たちの心はなりたい理想に近づくことができるのではないでしょうか。