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写経会【毎月第4土曜日開催】

私は聞きました!

 

  私たちの生きる現代では、普通文章のなかで、「○○さんがこんなことを言っていました。」と書くときは、必ずその人がそれを言った証拠がなければなりません。その人が言ってもいないのに、こんなことを言っていました。などと文章に書いて公開すると、お叱りを受けたり、場合によっては法に触れ訴えられたりすることもあります。

 

 ただお経では様子が少し違います。お経の中では如是我聞(にょぜがもん)という言葉がよく冒頭に使われます。如是我聞とは「是の如く我聞きき」と書き下し、「私はこのようにお釈迦様から聞きました。」という意味になります。

 

 如是我聞から始まるお経の中には、成立年代が明らかにお釈迦様の生きた時代とは異なるものもあるので、実際にはお釈迦様から直接説法を受けていない人が「私はこのようにお釈迦様から聞きました」といってお経を書き始めています。ダメじゃないか?と思うかもしれませんが、仏教の経典の中ではこれはOKということになっています。

 

 その一つ目の理由としては、如是我聞の起源にあります。お釈迦様の弟子に阿難(あなん)さんという、弟子の中でも一番お釈迦様の近くで説法を聞いたという、お坊さんがいました。その方が、お釈迦様の言っていたことを如是我聞といってお釈迦様の説法を直接聞けない人にも伝えました。また、お釈迦様が涅槃(お亡くなりになる)に入った後で、今までは禁止されていた、お釈迦様の言葉を書面に残すという作業が始まります。その時にも、弟子たちが集まりお釈迦様はこう言っていたという風に、意見を出し合い経典が作られていったという歴史があります。そういった歴史を踏まえて、直接は聞いていなくとも、定型文的な意味合いで如是我聞という言葉をお経の冒頭に使うようになりました。

 

 もう一つの理由は、お釈迦様の教えから始まった仏教に触れているのだから、直接ではないけれど聞いたことになるという考えです。この考え方は学問としては非常に危うい考え方です。人から人に伝わるにつれて、どうしても同じように伝わらなかったり、何かが加わったり、足りなかったりしてしまうからです。そういう観点から、お釈迦様のころの仏教(原始仏教)のみを重視して、それ以降の仏教を亜流としてあまり重視しない人もいます。私も、仏教を勉強し始めたころにはそういう考え方になった時期もありました。ただ、今はそうは考えていません。その時代その時代で、お釈迦様に思いを馳せ、「今お釈迦様が生きていたらどんなことをおっしゃるだろうか?きっとこう言うに違いない。」そんな風に考えた人が必死の思いで「如是我聞」といったのではないかと思えるからです。

 

 そういった考え方は歴史的に見ても、仏教がその時々の人たちを救うために解釈されてきたことが分かります。仏教の力で国を守りたいという平安時代には天台宗・真言宗が、民衆の不安が多くなった鎌倉時代には分かりやすい教えの浄土宗・浄土真宗・日蓮宗、時宗が、武士の社会では規律を重んじる臨済宗・曹洞宗などの禅宗が発展してきました。これも、お釈迦様の考えをベースにして、その時代の人たちを救うにはどうしたらよいかと考えた結果によるものだと思います。

 

 このように、仏教は常に流動的であり時代の変化に合わせてきました。極論かもしれませんが、私たちが仏教に触れ、その教えが今の社会でこんな風に生かせると思えば、マイお経を作っても全然問題ないと個人的には思っています。自分の心の中にマイお経を作ってみると、生活しているうちに色々な矛盾点が見つかってくると思います。そうすると不思議と「じゃあ、これまでのお経の中ではどう考えられてきたのかな?」と知りたくなってきます。そうしたら、先人たちの智慧の結晶であるお経に立ち返り、またマイお経に修正をかけていくことができます。そういう柔軟性を許す「如是我聞」という考え方は、仏教そのものの在り方を表しているような気がします。

 

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