あなたが見る未来?
世間では「わたしの見た未来」という書籍が話題になっています。東日本大震災を何年も前に予知夢で見たという方が書かれた書籍中に、2025年の7月に大災難が起こるということが書かれているようです。社会学的に見るとこのような不安を煽る予言は、不景気・戦争・疫病などで社会が混乱しているときに多く見られ、近年では「ノストラダムスの大予言」などが記憶に新しいかもしれません。不景気・戦争・疫病などという事柄は、まさに昨今の世界情勢を象徴しているといっても過言ではありませんから、社会学的に見ればこのような予言が流布しても不思議ではないと言えるでしょう。
大災難などと言われると誰しも不安になってしまいます。世界にあるすべての事象が科学で証明できるわけではないので、予言が全く嘘であるとも言えません。ただし、仏教的に考えてみるとそれほど不安になる必要もないと言えます。
お釈迦さまは過去・現在・未来の時間軸において、過去と未来にはとらわれる必要がないとはっきり述べられています。(原始仏教経典:スッタニパータ)
過去に「自分がこうだったから」「過去にこんなことを言ってしまったら」と考えてしまうと自分に制約がつきます。「過去に自分がこんなことを成し遂げたから」と思うと慢心が出ます。ただし、過去の出来事はあくまでも過去の出来事であって今の自分とは別のものとして考え、過去にとらわれず今自分が思う善い行いをすることが大切であると説いています。
また未来についても同じ考え方で、私たちは未来に生きることはできず、未来につなげる現在の行動を善くすることが大切だと説いています。
どう頑張っても私たちは過去や未来に直接介入することは出来ません。だから、もし私たちが未来にどうなりたいかを意識した上で、今を善く生きることに懸命になれたとすれば、結果的には少しずつ未来を導いているということになるかもしれません。
未来はどうなってもいいという刹那主義ではなく、自分の思い描く未来に向けて今の私たちの行動を選択していくことが大切なのだと思います。
日本は地震の他にも災害が多い国です。予言云々ではなく日頃からそういうことの備えをしておいて、今日を精一杯生きることが出来れば、未来のことを過度に心配する必要はありません。
仏教用語で発心(ほっしん)という言葉があります。心をおこすという意味です。未来に向かって今心をおこすことこそが、あなたが見る未来に近づく方法なのかもしれません。
簡単に読みたい方向け
あなたが見る未来?
最近、ある本をきっかけに「2025年7月に大災難が起こる」という予言が話題です。
今の世の中、不安なことも多いので、こうした話を聞くと、つい心がザワザワしてしまいますよね。
◆ 不安なときほど広まる「予言」
実は、社会が不安定な時期に「予言」が流行るのは、歴史的にもよくあること。「ノストラダムスの大予言」を思い出す方もいるかもしれません。つまり、予言そのものより、私たちが不安を感じやすい状況にあることの表れとも言えます。
◆ でも、仏教の考え方はもっとシンプル!
仏教では、未来の不安に対して、とてもシンプルな答えを持っています。それは、「過去や未来にとらわれず、『今』に集中しよう」というものです。
過去にとらわれない
「あの時こうだったから…」と考えても過去は変えられません。それよりも「今、何をするか」が大切です。
未来を心配しすぎない
私たちは未来には住めません。未来を良くする唯一の方法は、「今、良い行いをすること」です。
◆ 私たちにできること
結局、私たちは「今」しか生きられません。だから、未来の予言におびえるのではなく、「理想の未来のために、今日一日をどう生きるか?」を考えることが、一番大切なのです。
それは「どうにでもなれ!」という刹那的な生き方ではありません。
日本が災害の多い国であることは事実ですから、予言とは関係なく、日頃から備えをしておく。そして、今日という一日を大切に過ごす。
そうすれば、未来を過度に恐れる必要はありません。
「発心(ほっしん)」という仏教の言葉があります。これは「心を起こす」こと。
誰かの予言に心を揺さぶられるのではなく、あなたの未来のために、あなたが「今」心を起こすこと。それが、あなたの望む未来に近づく確かな一歩です。