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写経会【毎月第4土曜日開催】

令和7年9月27日写経会資料です。

 

開経偈

 

 

【本文意訳】

1. 無上甚深微妙法 無上甚深微妙の法は

この上なく奥深く、比類なき素晴らしい仏の教え(真理)は、

2. 百千万劫難遭遇 百千万劫にも遭い遇うこと難し 

途方もないほどの長い時間を経ても、巡り会うことが非常に難しいものです。

3. 我今見聞得受持 我、今見聞し受持することを得たり

その教えに、私は今幸いにも出会い、見聞きし、心に受けとめることができました。

4. 願解如来真実義 願わくは如来の真実義を解したてまつらん

願わくは、如来の説く真実の教えの奥義を、深く理解することができますように。

 

【開経偈の意義】

私たちが「仏教の教えに出会う奇跡」を心に刻むため、読経の前に開経偈(かいきょうげ)を唱えるのが一般的です。*法要によって読まれないこともあります。

 

 ある物理学者が、地球に生命が誕生する確率を、興味深い例で表現しています。それは、≪25メートルプールに分解した機械式腕時計を投げ入れ、プールを混ぜた時に、その部品がひとりでに組み上がり、元の時計として完成する≫ことと同じくらい、極めて天文学的確率だというのです。生命の誕生だけでなく、気の遠くなるような進化の過程を経て人類が生まれ、「私」という自我を持ち、仏の教えに向き合っていることは、まさに果てしなく尊い出来事と言えます。

 ただし、この「出会いの尊さ」は、見方を広げればキリスト教やイスラム教など、他の真理との遭遇においても同様に当てはまります。その観点から見れば、全ての教えとの出会いが等しく尊いと言えるでしょう。

 

 開経偈の解釈には、仏教だけが唯一無二であるという独善的な意味合いで捉えることも可能ですが、私はこれを「縁起(えんぎ)」の視点から理解すべきだと考えます。何かに出会うことそのものが、すでに尊い出来事なのです。

 

 先祖との繋がり、人との絆、そして今の私という存在も、過去のどこかで違う選択をしていれば実現しなかったかもしれません。そこには、偶然性と必然性が同居する「縁」が存在しています。

 私たちが今、仏教の教えに出会えていることは、全くの偶然でありながら、同時に何かの導きによる必然性を内包している可能性があります。

 開経偈には、「これほどまでに得難い縁によって出会えた教えなのだから、その真髄を深く追究しよう」という、得難き縁への感謝と真理への強い決意が込められているのではないでしょうか。

 

令和7年9月27日写経会資料

開経偈

 

 

【本文意訳】

1. 無上甚深微妙法 無上甚深微妙の法は

この上なく奥深く、比類なき素晴らしい仏の教え(真理)は、

2. 百千万劫難遭遇 百千万劫にも遭い遇うこと難し 

途方もないほどの長い時間を経ても、巡り会うことが非常に難しいものです。

3. 我今見聞得受持 我、今見聞し受持することを得たり

その教えに、私は今幸いにも出会い、見聞きし、心に受けとめることができました。

4. 願解如来真実義 願わくは如来の真実義を解したてまつらん

願わくは、如来の説く真実の教えの奥義を、深く理解することができますように。

 

【開経偈の意義】

私たちが「仏教の教えに出会う奇跡」を心に刻むため、読経の前に開経偈(かいきょうげ)を唱えるのが一般的です。*法要によって読まれないこともあります。

 

 ある物理学者が、地球に生命が誕生する確率を、興味深い例で表現しています。それは、≪25メートルプールに分解した機械式腕時計を投げ入れ、プールを混ぜた時に、その部品がひとりでに組み上がり、元の時計として完成する≫ことと同じくらい、極めて天文学的確率だというのです。生命の誕生だけでなく、気の遠くなるような進化の過程を経て人類が生まれ、「私」という自我を持ち、仏の教えに向き合っていることは、まさに果てしなく尊い出来事と言えます。

 ただし、この「出会いの尊さ」は、見方を広げればキリスト教やイスラム教など、他の真理との遭遇においても同様に当てはまります。その観点から見れば、全ての教えとの出会いが等しく尊いと言えるでしょう。

 

 開経偈の解釈には、仏教だけが唯一無二であるという独善的な意味合いで捉えることも可能ですが、私はこれを「縁起(えんぎ)」の視点から理解すべきだと考えます。何かに出会うことそのものが、すでに尊い出来事なのです。

 

 先祖との繋がり、人との絆、そして今の私という存在も、過去のどこかで違う選択をしていれば実現しなかったかもしれません。そこには、偶然性と必然性が同居する「縁」が存在しています。

 私たちが今、仏教の教えに出会えていることは、全くの偶然でありながら、同時に何かの導きによる必然性を内包している可能性があります。

 開経偈には、「これほどまでに得難い縁によって出会えた教えなのだから、その真髄を深く追究しよう」という、得難き縁への感謝と真理への強い決意が込められているのではないでしょうか。